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『ジョゼと虎と魚たち』はなぜ別れた?ラストの意味が深いって本当?

『ジョゼと虎と魚たち』はなぜ別れた?ラストの意味が深いって本当?

田辺聖子さんの短編恋愛小説「ジョゼと虎と魚たち」。実写映画化、アニメ映画化もされた名作で、更に国を超え韓国での実写映画化もされています。そんなジョゼと虎と魚たちですが、ラブストーリーであるにもかかわらず、最後に主人公たちが別れてしまう結末が話題に?

今回はジョゼと虎と魚たちの主人公たちはなぜ別れたのか、ラストの意味が深いのかについて調査しました。

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ジョゼと虎と魚たちとは

ジョゼと虎と魚たち」は田辺聖子さんの短編恋愛小説です。1984年「月刊カドカワ」で発表され1985年に同名短編集に収録。足が悪く、ほとんど外出したことがないというジョゼと、大学生の恒夫の純愛を描いたラブストーリーです。2003年に日本で実写映画化され、妻夫木聡さんが恒夫を、池脇千鶴さんがジョゼを演じました。主題歌にはくるりのハイウェイが起用されましたよ。2020年には韓国でも実写映画化され、更に日本では劇場アニメとして公開されました。原作発表から35年以上経っても新たな展開があるなど、長年にわたり愛されている名作なのですね。

出典:くるり

ジョゼと虎と魚たちのあらすじ

ここからはジョゼと虎と魚たちのあらすじについて紹介します。

運命的な出会いを果たす二人

下肢麻痺を患う山村クミ子(自らをジョゼと名乗ります)は生活保護を受ける祖母と二人暮らし。祖母はジョゼを人前に出すのを嫌がっており、ジョゼは夜しか外出できません。そんなある日の夜、祖母が離れたタイミングで、何者かがジョゼの車いすを坂道に突き飛ばしました。車いすは偶然居合わせた大学生の恒夫によって止められ、ジョゼは事なきを得ます。

この出来事をきっかけに、恒夫はジョゼの家に顔を出すようになりました。高飛車な態度のジョゼは恒夫を管理人と呼んで自身の身の回りの世話をさせます。しかしジョゼは内面には孤独を抱えており、恒夫はジョゼに外の世界の楽しさ、美しさなどを教えていきます。

再会を果たし結ばれる二人

次第に惹かれあった二人でしたが、恒夫が就職活動を行うというタイミングでジョゼの家から足が遠のいてしまいます。就職が決まった恒夫がジョゼの家を久しぶりに訪ねると、ジョゼは既に引っ越しており、ジョゼの祖母が亡くなってしまったことを知ります。

ジョゼが今住むアパートを探し当てた恒夫、やつれてしまったジョゼに「痩せて、しなびとる」と口にしてしまい、ジョゼを怒らせてしまいます。激昂して出ていけと叫んだジョゼ、しかし恒夫が帰ろうとするとジョゼは恒夫に縋り付きます。互いの弱さをさらけ出した二人は、結ばれるのでした。

虎と魚の意味

その後、ジョゼにねだられてドライブで動物園に連れていく恒夫。虎の咆哮に怯えて恒夫にすがりつくジョゼですが、曰く「好きな男の人が出来た時に一番怖いものを見たかった」とのこと。

更に二人は(事実婚状態ながらも)新婚旅行という名目で九州の海底水族館へ。魚に夢中になるほど満喫したジョゼは、その日の夜、魚のように横たわる自分を死体になぞらえ「死んだんやな」と思います。以降も二人は幸せな生活を続け、「アタイたちは死んだモンになってる」と思うジョゼ。ジョゼにとって、完全な幸福は死と同じだったのです。タイトルの「虎と魚たち」は終盤のこの二つのエピソードから来ているのですね。

ジョゼと恒夫は別れていない?

と、ここまで紹介したあらすじを見ると、ジョゼと恒夫は別れていないように見えますね。事実、原作では二人は結ばれたまま物語が終了しており「なぜ別れた」も何も、二人は別れていないのです。

しかし、媒体が変われば物語の結末も変わってきます。原作小説と実写映画では、話の内容も結構違いがあるのですね。

日本実写版「ジョゼと虎と魚たち」のあらすじ

ということで、ここからは日本実写版ジョゼと虎と魚たちのあらすじを紹介します。まず、ジョゼと虎と魚たちの原作はページ数も少なめの短編で、映画化する際にはスケール感をアップさせる必要がありました。その結果登場人物も増え、ジョゼは原作よりも強烈な性格になっており、恒夫はジョゼ以外の女性との関係も示唆されるような男性になっています。その上で、車いすごと坂から落ちてきたジョゼを恒夫が助け、二人の関係性が始まるといった展開は映画版でも共通していますよ。

障害を抱えるジョゼを支え続ける責任の重さ

九州への「新婚旅行」はジョゼに「幸福こそ死」と感じるほどの陶酔をもたらすものの、一方で恒夫は原作とは違い、ジョゼを支え続ける重さ、将来への不安を強く意識し始めるようになります。生活のズレ、障害を抱える恋人を支える重圧、更に就職や将来への不安といったものも恒夫を追い詰める理由になってしまうのです。

「僕が逃げた」

映画のクライマックスで、恒夫は荷物をまとめてジョゼの元を去ることとなります。「別れる理由は、まあ色々」と語る恒夫ですが、本当の理由は一つだけ。「僕が逃げた」。

恒夫はジョゼを支え続ける覚悟を持てなかった自分の弱さを認め、ジョゼを傷つけた罪悪感、自分の弱さへの悔しさが入り混じった涙を恒夫が流し、映画版の「ジョゼと虎と魚たち」は幕を閉じます。

ジョゼと虎と魚たちのラストの意味が深いって本当?

原作が短編だったとはいえ、原作のその先の時系列を描き、挙句物語の結末を180度ひっくり返すような映画版のジョゼと虎と魚たちは、近年の原作改変に厳しい世論の中を鑑みると、今公開されたら大きな批判に晒されるかもしれない、なんて思ってしまいます。

一方で、映画版は障害を抱えた相手との恋という、きれいごとだけでは語れない現実の重さから逃げることなく描いており、人間のリアルを描く深さなども感じます。自らの弱さのために別れ、ジョゼを傷つけた後悔で泣く恒夫の姿にもどかしい思いを抱えた方も多いのではないでしょうか。

原作のラストも深い

原作の終盤の展開も「虎」「魚たち」に込められた意味の深さを感じられますよね。「虎」は怖さの象徴であり、「好きな人が出来た時に怖いものを見たかった」というジョゼの言葉から、「二人であれば怖い物事も乗り越えられる」という思いを感じられます。

「幸福は死」という陶酔はいまいちピンとこない人もいるかもしれませんが、ジョゼにとって生きることはこれまで、傷つき、感情を揺さぶられることだったのではないでしょうか。二人結ばれ、幸福な安寧を手に入れた「魚たち」、ジョゼと恒夫は、いたずらに心乱されることもない……だからこそ死んでいるようなもの、ということなのかもしれませんね。

最後に

今回はジョゼと虎と魚たちはなぜ別れたのか、ラストの意味が深いのかについて紹介しました。2020年のアニメ映画版では、映画の尺に合うように原作から話をスケールアップさせたうえで、明るい結末が描かれる内容となっています。三者三様、それぞれ違う物語であるジョゼと虎と魚たちを見比べてみるのもよいのではないでしょうか。

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