『インターステラー』は、2014年に公開されたクリストファー・ノーラン監督によるSF映画です。地球の環境が急速に悪化し、人類の存続が危ぶまれる未来を描いています。この映画は、その複雑なプロットと科学的な根拠、そして感動的な物語で高い評価を受けています。
インター ステラー :キャスト
名前 | 役割 | 演者 |
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ジョセフ・クーパー | 元NASAパイロット、主人公 | マシュー・マコノヒー |
アメリア・ブランド博士 | NASAの科学者 | アン・ハサウェイ |
マーフィー・クーパー | クーパーの娘 | ジェシカ・チャステイン(成人)、マッケンジー・フォイ(子供) |
トム・クーパー | クーパーの息子 | ケイシー・アフレック(成人)、ティモシー・チャラメ(若年期) |
プロフェッサー・ブランド | NASAの物理学者、アメリアの父 | マイケル・ケイン |
TARS | 任務をサポートするロボット | 声 – ビル・アーウィン |
インター ステラー :やばい
ネットでは「やばい」というワードが見られますが、これは否定的か肯定的意味合いなのかで大きく分かれます。否定的意見としましては、宇宙物理学的要素が強く取り入れられていて内容が難しくてついていけないというものです。また、”時間”を取り扱っている事で”未来と過去、始まりと終わり”などの視点からどうしても矛盾点を感じてしまうなど、探せば沢山の「やばい」が出てきます。
今度は肯定的意味合いだとどうなのかと言うと「映像がやばい」ではないでしょうか。それはこの作品を作って行くにあたって、理論物理学者の意見を取り入れているところだと思います。昔から科学雑誌を読んできた私にとっては、多様な惑星の様子とかワームホールの表現や特にブラックホールのリアルな映像に鳥肌が立ちました。
そして後半の多元空間の様子も、(物理の知識は皆無なのですが)上手く映像化しているなぁ~とため息が出たものです。物理学などの知識が豊富な方にはかなり無理のあるストーリーに映っているようですが、壮大なサイエンス・フィクション映画としては十分に楽しめる作品だと思います。
インター ステラー :クーパー 助かった理由
ブラックホールに落ちて行ったクーパー(その時にTARSと共に重力のデータをゲット)、多次元空間に存在した彼らはマーフィーへ研究のヒントを与えます。この時TARSが「彼らに助けられた」と何か自分達とは別の存在がいる事を示唆しています。しかしクーパーは、”彼ら”はこの複雑な空間を作り出す事は出来るけれど、何かを伝える事はできないと理解していきます。
これらの現象をおこしているのは”未来の自分達だ”とクーパーは結論付けていると読み取れました。そして突然その空間が閉じて行き、気づくと土星軌道上にクーパーは一人浮かんでいました。宇宙服内の空気が尽きるギリギリで、シャトルにより発見され助かります。このステーションに近い場所に連れて来られたのも”彼ら”によるものだと考えました。
ここで思ったのが、例えば広大な海の真ん中で漂流してしまった人間が助かる確率ってもう絶望的にわずかなものだと思うのです。ましてや宇宙空間なのにどうして助かったのかと。ただクーパーの時間はそれほど経っていないと思われるので、宇宙服に場所を知らせる機能(通信装置)があり、それがきちんと働いていてシャトルに気づいてもらう事ができたと想像しています。とにかくクーパーが助からない事には、アメリアを助けに向かったり等ストーリーが進んで行かないですもんね。
インター ステラー :面白すぎ
『インターステラー』は確かに多くの観客にとって魅力的な映画ですね。クリストファー・ノーラン監督の手掛けるこの作品は、宇宙の旅、ブラックホールを越えた探索、そして人間関係の深い絆を描いた壮大なサイエンスフィクション映画です。時間、重力、そして愛の概念に対する独自の取り組みを通じて、観客を考えさせ、感動させます。
映画は科学的な側面と感情的なストーリーテリングを見事に組み合わせており、特に視覚効果や音楽スコアが高く評価されています。ハンス・ジマーによる音楽は、映画の雰囲気を高めるだけでなく、物語の感情的な深みを増すのに貢献しています。
インター ステラー :エドマンズ 死因
エドマンズの死因も殆ど語られていなかったので、気になる点の1つだと思います。自分なりに考えてみました。最初から観て行くと、有人探査機を使った調査が10年前から始まっていて、探査に当たっては着陸ポッド2年と冬眠カプセルを使えば10年ほど探査が可能だとクーパーが聞かされていました。
最後の探査機パイロットとして人類の命運をかけクーパーが行く事になりました。という事は一刻も早く到着しなければ博士らの生存のタイムリミットが近いのでは?と考えました。なので様々なアクシデントを抱えた後、やっとアメリアがたどり着いた時にはエドマンズ博士はもうカプセル内で亡くなってしまっていたのだと推察します。
インター ステラー :津波 なぜ
『インターステラー』の中で津波のシーンは非常に印象的で、多くの観客にとって記憶に残る瞬間です。このシーンが存在する理由は、映画の中で探索される異星の極端な環境と、そこに潜む予期せぬ危険を観客に示すためです。
具体的に、この津波のシーンは、主人公たちが探索する水の惑星で起こります。この惑星はその巨大な引力源であるブラックホールに非常に近い軌道を持っているため、極端な潮の動きが生じます。ブラックホールの強力な重力は、惑星上の水を引き寄せて巨大な津波を発生させる原因となります。さらに、この惑星の時間の進み方は地球とは大きく異なり、地球での数年分の時間がこの惑星ではわずか数時間で過ぎ去るという相対性理論に基づく時間の違いを示しています。
このシーンは、映画のテーマの一つである自然の力と人間が直面する挑戦を象徴しています。また、未知の世界の探索がいかに危険であるか、そしてそれによって我々がどのようなリスクを負うのかを強調しています。さらに、限られた時間内で重要な決断を下さなければならないという緊迫感を観客に伝えます。
インター ステラー :凄すぎる
『インターステラー』は、映画製作のあらゆる側面において非常に野心的な作品です。クリストファー・ノーラン監督のビジョンと技術的なマスタリーは、この映画を特別なものにしています。以下は、『インターステラー』が「凄すぎる」と感じられる理由のいくつかです。
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視覚効果: 映画はそのリアリスティックな宇宙の描写と、科学的に正確なブラックホールのビジュアルで有名です。特に、ブラックホール「ガルガンチュア」の描写は科学者の協力を得て制作され、実際の物理法則に基づいています。これらの効果は、映画が視覚的にも科学的にも観客を圧倒する一因となっています。
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物理学との連携: 映画の製作過程で、理論物理学者キップ・ソーンが科学的アドバイザーとして参加しました。ソーンの理論は、映画の中で描かれる時間の進み方や、重力の影響など、複雑な科学的概念を正確に描写するための基盤となりました。
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音楽: ハンス・ジマーによるスコアは、映画の壮大さと感情的な深みを一層引き立てています。ジマーは、映画のテーマと緊迫感を表現するために、オルガンの音色を中心に据えたユニークなサウンドトラックを作り上げました。
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ストーリーテリング: 『インターステラー』は、単に宇宙探索の物語ではなく、愛、家族、人類の未来といった普遍的なテーマを探求しています。映画は複雑な物理学的概念を扱いながらも、観客が感情的に関わりやすい人間ドラマを織り交ぜることで、科学と感情の完璧なバランスを実現しています。
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撮影技術: 映画の撮影には、IMAXカメラが使用され、映画の壮大さと詳細を捉えるために非常に高解像度の映像が使用されました。実際のロケ地での撮影や、ミニチュアを使用した伝統的な特殊効果も、映画のリアリズムを高めています。
これらの要素が組み合わさることで、『インターステラー』は単なるエンターテイメントを超え、観客に深い印象を与え、多くの人に愛される作品となりました。
インター ステラー :なぜ燃やした
『インターステラー』で「燃やした」シーンについてお話ししますね。映画には、重要な瞬間として、コーンの畑が燃えるシーンがあります。このシーンは、地球上での生活がいかに困難になっているか、そして人類が直面している環境危機の深刻さを象徴しています。以下は、そのシーンが持ついくつかの意味です。
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環境の劣化: 『インターステラー』の地球は、食料不足と環境の劣化に直面しています。コーンは、その時点で地球上で唯一大量に生産できる食料源の一つとされており、畑が燃えることは、極度の食料不足という切迫した状況をさらに悪化させることを意味します。
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人類の絶望: 畑が燃えるシーンは、人類が自然災害や環境の変化に対してどれほど無力かを示しています。この絶望的な状況は、人類にとって新たな居住地を探すことの重要性を強調し、映画の中心的な探索旅行へとつながります。
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物語の転換点: このシーンは物語において転換点となり、主人公たちが地球の未来を救うために宇宙へと旅立つ決意を固めるきっかけとなります。地球上での生活が持続不可能になりつつあることを視覚的に示し、彼らの行動を促す重要な要因となります。
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映画のテーマの強調: 燃える畑のシーンは、映画全体を通じて探求されるテーマ、すなわち家族、持続可能性、そして人類の生存に対する挑戦を象徴しています。地球という家を失いつつある人類が、未知の宇宙に新たな希望を求める物語を強調しています。
このように、コーンの畑が燃えるシーンは、映画『インターステラー』における環境危機と人類の未来に対する深いメッセージを伝える象徴的な瞬間となっています。