【花束みたいな恋をした】作者はひどい?イタいと感じる意外な理由とは?

【花束みたいな恋をした】作者はひどい?イタいと感じる意外な理由とは?

2021年1月29日に公開された映画「花束みたいな恋をした」は、菅田将暉さんと有村架純さんのダブル主演で話題となった作品です。偶然出会った大学生の男女の交際が始まってから5年間の日常を描いていますが、作者がひどいといった声やイタイと感じるという声があります。今回はその理由についてまとめていきたいと思います。

目次

花束みたいな恋をしたの脚本と監督

「花束みたいな恋をした」の監督を務めたのは土井裕泰さんで、「逃げるは恥だが役に立つ」や「ビリギャル」など多数の作品でメガホンをとっています。そして脚本は坂元裕二さんで、社会現象を起こしたドラマ「東京ラブストーリー」を大ヒットさせ、数々のオリジナル脚本を生み出している人です。二人は2017年に松たか子さんのドラマ「カルテット」で一度タッグを組んでいました。

脚本がひどいといわれる理由は?

数々の名作を生み出している「花束みたいな恋をした」の作者の坂元裕二さんは、共感性羞恥を感じてしまうような作品を作り出すことでも有名です。共感性羞恥とは他人が恥ずかしい状況にあると、自分も同じように恥ずかしさやいたたまれなさを感じる心理状態のことといわれています。「花束みたいな恋をした」にも共感性羞恥を感じる部分があり、ひどいといわれているようです。

花束みたいな恋をしたで共感性羞恥を感じるシーン

「花束みたいな恋をした」では押井守を発見し、好きな映画や小説、はいているスニーカーなどの共通点が多いところが描かれています。サブカル好きを刺激するようなシーンが織り交ぜられており、そのサブカル感がひどいと感じる人もいるようです。また夢を追いながらバイトをする姿や、多忙な営業の仕事に疲弊している姿などがひどいとの声もありました。https://x.com/satsuki1403/status/1829518489641717866

花束みたいな恋をしたがイタイと感じる理由は?

ここまでは「花束みたいな恋をした」の作者の作品の描き方がひどいと感じるシーンについて紹介していきました。ここからは作品のシーンでイタイと感じる部分について紹介していこうと思います。恋愛映画というと綺麗なオチでおわるラブストーリーが一般的ですが、「花束みたいな恋をした」ではこのような終わり方ではありません。

始まりには必ず終わりがある

「花束みたいな恋をした」ではこれから先も続いていくというのが感じられ、二人の人生の一部を見ている感覚があります。始まりには終わりがやってくるという事を理解しながら、それでも恋に落ちる自分には抗えないことに、苦しむ姿が現実的だと感じる人が多いようです。そして別れも苦しみも消化され、新しい出会いを受け入れてしまうそんな無慈悲な状況にひどいという声もあります。

同じ部分が多いからこその怖さ

「花束みたいな恋をした」はたくさんの共通点が多く同じだと感じる部分が多いです。惹かれあうきっかけも同じ趣味からで、好きなものが同じという偶然が重なっていきます。しかし見ている人の中には、自分の好きなものを他人と共有することが苦手だという人もいるようです。二人は一緒だと思っていた所が少しずつずれていく事で、別れるという決断になってしまいます。一緒だと思っていたからこそ、すれ違いにひどく苦しむことになるのです。

視聴者の過去の体験談を思い返されるような作品

「花束みたいな恋をした」は作者の現実的な作風が話題となって、感動した人もいますが逆に過去に自分も経験したことのある恋愛に思い返して、「これはイタイ」と感じてしまう人や「映画を現実的に描きすぎてひどい」と感じる人がいたようです。学生だった時から大人になっていき、麦が労働者として自分の価値観を押し込めてしまう姿は、見ている人たちに共感を与えると同時に純粋に映画として楽しむことができなくなってしまったのではないでしょうか。

まとめ

今回は映画が公開され話題となった「花束みたいな恋をした」の作者がひどいといわれる理由について、作品の内容も含めて詳しく解説していきました。ドラマや映画は現実的な作品の内容が共感され人気となることが多くなっていますが、その反面共感性羞恥を感じる人にはひどいと感じる人もいるようです。独特な世界観を描く作者の作品には、様々な思いを抱く人もいるというのがわかりました。karensong.jpでは様々なJ-POPに関して書かれていますが、本映画の主題歌であるAwesome City Clubの楽曲「勿忘」は映画とマッチしていて非常に良かったと思います。

この記事を書いた人

目次